<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
    <channel>
        <title>Movable Type 4.1</title>
        <link>http://omakare.com/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2011</copyright>
        <lastBuildDate>Fri, 30 Sep 2011 13:39:17 +0900</lastBuildDate>
        <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
        <docs>http://www.rssboard.org/rss-specification</docs>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（32）</title>
            <description><![CDATA[<p>今回の「昔のカレンダー」は、「コーヒー」についてです。</p>
<p>10月1日はコーヒーの日。1983年に全日本コーヒー協会が定めました。<br />ブラジルのコーヒー豆の収穫はだいたい９月に終了します。そのため、10月から新しい「コーヒー年度」に入るのです。<br />また、日本でもコーヒーの消費量が秋から増えてきます。そこで、この日を「コーヒーの日」としたわけです。<br />＜コーヒーの主な銘柄＞<br />●モカ<br />アラビア半島のモカ港（現在はホディダやアデン）から出荷されていたもの。主にイエメン産のコーヒーです。<br />アラビカ種のルーツであり、ブラジルと並ぶ非水洗式アラビカ種の代表的存在と言えます。<br />●コロンビア<br />コロンビアで生産されている上質でマイルドな水洗式コーヒーです。中でもメデリン産が有名です。<br />●キリマンジャロ<br />タンザニアのキリマンジャロ中腹で生産されるコーヒーです。上質でマイルドな水洗式コーヒーです。<br />●グァテマラ<br />グァテマラの特にシェラマドレ山脈で生産されているコーヒーです。<br />●ジャマイカ <br />ジャマイカで生産されるコーヒ。特にブルーマウンテン山系の高地で栽培される「ブルーマウンテン」は、<br />コーヒーの最高級品種とされています。<br />※日本国内で「ジャマイカ」名で流通している中級コーヒーは、ジャマイカの低地で生産されたものです。<br />●ブラジル<br />モカと並ぶ非水洗式アラビカ種の代表的コーヒーです。<br />主力はアフリカのブルボン島原産のアラビカ系ブルボン種と、<br />インドネシアのスマトラ島で育てられていた品種とを配合したムンド・ノーボ。<br />積出港の名前から「サントス」と呼ばれることもあります。<br />●ハワイ <br />ハワイ島の「コナ」で生産されるものが有名です。<br />●ジャワ・ロブスタ <br />ジャワ島、スマトラ島で生産されるロブスタ種のコーヒーです。<br />●マンデリン<br />スマトラ島のマンデリン地方で生産されるアラビカ種のコーヒーです。<br />●トアルコ・トラジャ<br />インドネシアのスラウェシ島で生産されるアラビカ種のコーヒーです。<br />ブルーマウンテンと並ぶ最高級のコーヒーです。<br />＜ブレンド＞<br />コーヒーのブレンドをする場合、マイルドな味のコロンビアをベースにするのがおススメです。<br />コロンビア：40％<br />ブラジル：30％<br />モカ：20％<br />グァテマラ又はマンデリン：10％<br />ご参考まで。</p>
<p>カレンダー情報：全日本コーヒー協会</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2011/09/32.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2011/09/32.html</guid>
            
            
            <pubDate>Fri, 30 Sep 2011 13:39:17 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（31）</title>
            <description><![CDATA[<p>またまた間が空いてしまいました。<br />今回の「昔のカレンダー」は、宝くじについてです。</p>
<p>９月２日は、語呂合わせで「くじ（９２）の日」です。「くじの日」は、当選したのに交換に来ないまま無効になってしまう宝くじがたくさんある（毎年、数千万円の１等も含まれています）ため、今一度くじのチェックをしてもらおうという趣旨で制定されました。<br />1967年に、宝くじの発売元の都道府県・政令都市・受託銀行の申し合わせでスタートしました。</p>
<p>９月２日には、外れたくじの敗者復活が行われます。当選番号は９月３日の新聞に掲載されると思いますので、お手元の外れ券チェックしてみましょう。</p>
<p>宝くじは江戸時代に寺社が資金集めのために行っていた富くじをルーツとしています。最初に行ったのは、元禄13年江戸谷中の感応寺（現・天王寺）だそうです。</p>
<p>その後、多くの銀行が「くじ」を取り扱っていましたが、戦後になると、事務手続きの煩雑さを嫌って各銀行が脱落。結局、第一勧銀（現・みずほ銀行）のみが残りました。しかし、第一勧銀において不祥事が発生したことから、他の銀行にもくじを委託しようという動きが出ました。その結果、サッカーくじは大和銀行（現・りそな銀行）が取り扱うことになりました。</p>
<p>あなたの机の引き出しの中のも、忘れてしまった宝くじはありませんか。もしかしたら数千万が・・・、かもしれませんよ。</p>
<p>カレンダー情報：今日は何の日</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2011/09/31.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2011/09/31.html</guid>
            
            
            <pubDate>Fri, 02 Sep 2011 09:29:25 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（30）</title>
            <description><![CDATA[<p>久々の更新です。<br />４月５日の「昔のカレンダー」は、「小笠原返還」です。</p>
<p>昭和43年4月5日、日米間で小笠原返還協定の調印が行われました。<br />これにより、戦後アメリカに占領されていた小笠原諸島が22年ぶりに日本に返還されることになりました。<br />※実際の返還は、同年の6月26日です。</p>
<p>昭和39年、首相に就任した佐藤栄作は、アメリカとの友好関係を強める施策を進めていましたが、<br />国内には小笠原や沖縄の返還に対する強い運動が起きていました。<br />こうした中で佐藤は、アメリカに対して「軍事的に利用するのは構わないから、<br />小笠原や沖縄を返して欲しい。また、返してくれた方がアメリカにとっても良いのではないか」と<br />巧みにアメリカを説得。そして、昭和42年のジョンソン・佐藤会談で合意に達し、<br />翌43年に小笠原、首相任期終了直前の昭和47年に沖縄が返還されました。</p>
<p>戦時中、日本は小笠原の住民に本土に避難するよう要請。昭和19年に強制疎開となっていました。<br />後のブッシュ大統領（父の方）は、この時の小笠原攻防戦に参加して、<br />対空砲火で撃墜される経験をしています。</p>
<p>終戦後、GHQは欧米系の島民にだけに帰島を許可し、<br />ずっとアメリカ軍の基地として小笠原を使用してきました。<br />返還後は、日本系の住民が20年ぶりに帰島。<br />その後、さらに小笠原に興味を持った人たちが移住してきて、さまざまな文化交流が生まれ、<br />現在、沖縄とは別の意味での「文化のクロスロード」となっています。</p>
<p>カレンダー情報：ようこそ小笠原へ</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2011/04/30.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2011/04/30.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 05 Apr 2011 10:41:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（29）</title>
            <description><![CDATA[<p>11月26日の「昔のカレンダー」は、「タンザニア独立日」です。</p>
<p>タンザニアはアフリカ東岸にある国で、大陸部のタンガニカと島部のザンジバルとの連合国です。<br />ここでいう「タンザニア独立」というのはタンガニカが1961年12月9日に独立したのを記念するものです。<br />ザンジバルの独立は1963年12月10日です。<br />両者は1964年4月26日に合併しましたが、現在でも両者は政治的にはほとんど別の国のようなものです。<br />一応ザンジバルからタンザニアの国会に代表を5名送り込んではいますが、<br />ザンジバルはザンジバルで共産主義の自治政府の統治下にあります。</p>
<p>歴史の舞台に登場したのはザンジバルの方が早く、<br />8世紀頃にアフリカ東岸の島々をアラブの商人たちが貿易の中継基地として開発しました。<br />やがてアラビアのオマーンのスルタンが、<br />この地域（ザンジバル島・ペンバ島、マフィア島、ラム島）を支配下に置き、<br />ザンジバルの特産品であるクローブ（丁子）や奴隷貿易を始めます。</p>
<p>一方、タンガニカにはドイツが19世紀末から入植を始めました。<br />当時、この地域の西端には全長3000kmにも及ぶ巨大な細い湖（ウニアメシ湖）があると、<br />ヨーロッパでは信じられていましたが、現地の人たちに話を聞く内にそれは、<br />実は３つの湖に別れているということが分かります。<br />これは北からビクトリア湖・タンガニカ湖・マラウィ湖（ニヤサ湖）の３つでした。<br />この３つはアフリカの三大湖でもあります。<br />中でもビクトリア湖は面積が69,490km2あり、九州の1.5倍くらいの広さです。</p>
<p>ザンジバルは、1960年代後半からは社会主義的な政策で、<br />国家主導による強引な近代化を進めていきました。<br />しかし、1970年代のオイルショックはこの国の経済にも深刻な打撃を与え、<br />1980年代になると国有化政策は見直されることとなり、<br />1980年代後半になると農地の私有化なども認められ、<br />自由主義経済の導入が進みつつあります。<br />近年ではルワンダ・ブルンジで相次いで内戦が起きて大量の難民がタンザニア国内に流入。<br />政府はこの対策にかなり頭を痛めたようですが、国連の仲介などにより、<br />何とか難民の帰国にこぎつけています。</p>
<p>ザンジバルの方では、非民主的な自治政府の下で対抗する勢力との間で、<br />政治的な混乱が続いており、2000年には難民が発生してタンガニカに大量に人々が<br />逃げ込むような騒ぎまで起きています。<br />日本の外務省では、ルワンダ・ブルンジとの国境付近やザンジバルへの渡航には、<br />充分な検討をするよう注意を呼びかけています。</p>
<p>カレンダー情報：今日は何の日</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/12/29.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/12/29.html</guid>
            
            
            <pubDate>Thu, 09 Dec 2010 06:48:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（28）</title>
            <description><![CDATA[<p>11月26日の「昔のカレンダー」は、「ペンの日」です。</p>
<p>これは日本ペンクラブが1935年のこの日設立されたことを記念するものです。<br /><br />ペンクラブとは P=PlayWrite,Poet&nbsp; E=Esseist,Editter&nbsp; N=Novelist の頭文字を取ったもので、<br />文筆に従事する人たちの団体です。</p>
<div class="entry-content">
<p>日本ペンクラブは、ロンドンに本部をもつ国際ペンの日本センターとして、<br />1935年11月26日に創立されました。<br />当時の日本は、満州事変後に国際連盟を脱退して、<br />国際的に孤立に向かう状況に置かれていました。<br />それを憂う動きがリベラルな文学者や外交官の間にあり、<br />ロンドンの国際ペンからの設立の要請を受けて、<br />当時第一線で活躍していた作家、詩人、外国文学者、評論家の有志の賛同を得て、<br />文豪島崎藤村を初代会長として日本ペンクラブが創立され、<br />同時に、国際ペンの日本センターとしての役割を担いました。</p>
<p>その後の日中戦争、太平洋戦争下で言論弾圧が厳しくなった時にも、<br />日本ペンクラブはロンドンのセンターと連絡をとって、唯一世界への窓口であることを守り抜きました。</p>
<p>日本ペンクラブは、独立自尊をモットーに活動をし続け、日本の言論界をリードしてきました。<br />歴代会長には、その時代を代表する作家が就任しています。</p>
<p>カレンダー情報：日本ペンクラブ</p></div>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/28.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/28.html</guid>
            
            
            <pubDate>Fri, 26 Nov 2010 07:18:56 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（27）</title>
            <description><![CDATA[<p>11月21日の「昔のカレンダー」は、「歌舞伎の日」です。</p>
<p>これは明治22年の11月21日に東京木挽町に歌舞伎座がオープンしたことを記念するものです。<br /><br />歌舞伎を始めたのは江戸初期の「出雲の阿国(おくに)」です。<br />彼女は元々は鍛冶屋の娘（能楽師あるいは狂言師の娘という説も）で、<br />出雲大社の巫女になって念仏踊りを踊っていましたが、<br />豊臣秀吉の御伽衆の紹介により京都の四条河原（北野天満宮境内の説も）で、<br />念仏踊りの興行を実施。人気を博しました。<br /><br />これに刺激を受けたのが四条河原町付近にある多数の遊郭です。<br />遊郭が競って遊女達に男装させて阿国の一座に類似した踊りを踊らせ、<br />これを遊郭の客引きに使用しました。これを『女歌舞伎』といいます。<br /><br />しかし、これは風紀上問題があるとしてすぐに禁止されます。<br />すると、今度は女がだめなら男がいるさ、という訳で、<br />元服前の美少年たちを動員した『若衆歌舞伎』がやはり同様に客引きをかねて実施されました。<br />が、これもたちまち禁止されました。<br /><br />怪しげな興行の禁止は仕方ないとしても、この手の芸能を見たい人達のニーズはあります。<br />そこで生まれたのが、普通に男性の役者だけを使って演じる『野郎歌舞伎』でした。<br />これが現在の歌舞伎のルーツです。</p>
<p>カレンダー情報：歌舞伎座</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/27.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/27.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sun, 21 Nov 2010 09:04:55 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（26）</title>
            <description><![CDATA[<p>今回の「昔のカレンダー」は、「鉄道電化の日」です。</p>
<p>1956年11月19日、東海道本線の大津?米原間の電化工事が完了し、<br />これで東海道線（の本線）が全て電化されました。<br />鉄道電化の日はこれを記念して、1964年に鉄道電化協会が制定したものです。<br /><br />鉄道が生まれたのは1814年イギリスのスティーヴンスン、<br /> 日本で最初に鉄道が走ったのは1872年の新橋?横浜間、<br />電車が生まれたのは1879年、<br />日本で初めて走ったのは1895年の京都の塩小路東洞院?伏見京橋間です。<br /><br />電車は蒸気機関車に比べて噴煙が無いこと、<br />ボイラーを事前に熱くするような発進準備が不要なこと、<br />進行方向を転換するのにいちいち機関車を反対側に付け直さなくても良いことから、<br />京都市電などに見られるように、最初は都市部での鉄道に採用されました。<br />東海道線でも大正14年に東京?横須賀間に電気機関車が走っています。<br /><br />東海道本線の電化完成後、東京―大阪間を最速で走ったのは特急「つばめ」ですが、<br />この当時の電気機関車は非力なので7時間半もかかっています。<br />この特急の前身は戦前の超特急「燕」なのですが、燕は東京から沼津までの区間を電気機関車、<br />それ以降を蒸気機関車に引かれて8時間で大阪まで到達しているようですので、<br />それほど早くなったという感覚はなかったかも知れません。</p>
<p>カレンダー情報：鉄道電化協会</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/26.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/26.html</guid>
            
            
            <pubDate>Fri, 19 Nov 2010 10:56:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（25）</title>
            <description><![CDATA[<pre><p>第25回の「昔のカレンダー」は、「将棋の日」です。</p><p>江戸時代に歴代の将軍の中では家康と並んで最も将棋好きであった徳川吉宗が、<br />この日を「お城将棋の日」として毎年御前対局を実施したということから、<br />日本将棋連盟が1975年に制定しました。</p><p>将棋はインド起源です。<br />双六系ゲームと将棋系ゲームというのが世界の２大ボードゲームの流れなのですが、<br />インドで将棋のルーツのチャトランガが生まれ、<br />エジプトで双六のルーツのセネトが生まれ、<br />ある時期にその勢力範囲がクロスしたことが、神話で伺われます。<br />両方の文化圏の神様同士が「私もそちらのチャトランガをしますので、<br />あなたもこちらのセネトをなさってください」のように会話する神話が残っています。</p><p>後に、セネトは西方ではバックギャモンとなり、東方では中国の双陸、<br />日本の古双六（現代の絵双六とは別物）となって、<br />チャトランガは西方ではチェス、東方では中国の象棋、<br />日本の将棋などに進化しています。</p><p>チャトランガは最初４人制のゲームでしたが、後に２人で遊ぶやり方が生まれ、<br />これが現在のチェスにかなり近いルールになっています。<br />中国の象棋、日本の将棋はそれぞれかなり特異な進化をしています。<br />象棋(シャンチー)は日本の将棋よりはむしろ軍人将棋に似ています。<br />恐らくは軍人将棋自体が日清戦争の頃、<br />中国の象棋にヒントを得て生まれたのではないかという推測も成り立ちそうです。<br />象棋も将棋と同じ９列の盤を使用します。<br />しかし、駒の再利用ルールは将棋独特のもので、<br />これが将棋を世界最高クラスの難しいゲームにしています。</p><p>カレンダー情報：日本将棋連盟</p></pre>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/25-1.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/25-1.html</guid>
            
            
            <pubDate>Wed, 17 Nov 2010 12:19:53 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（24）</title>
            <description><![CDATA[<pre><p>第24回の「昔のカレンダー」は、「大分県の日」です。</p></pre>
<p>11月14日は大分県の日です。これは豊後地方の８つの県が合同して、<br />「大分県」が生まれたのが1871年（明治4年）の11月14日だからで、<br />「大分県あすをつくる県民運動推進協議会総会」が定めました。</p>
<p>大分県は、「大きな中心都市が１、２個あってその周囲に衛星のように多くの町が広がる」<br />というパターンの多いほかの都道府県と違い、<br />大分(46万)・別府(13万)・中津(8万)・佐伯(8万)・日田(8万)・宇佐(6万)・臼杵(4万)・豊後大野市(4万)・<br />由布市(4万)・国東市(4万-2006年発足予定)・杵築市(3万)・竹田市(3万)・豊後高田市(3万)・津久見市(2万)というように、中規模の都市がやたらと多い構造をしています。</p>
<p>これは元々江戸時代までここには岡・臼杵・杵築・日出・府内・佐伯・森・中津という８つの藩と、<br />天領の日田および別府、それに宇佐神宮があり、<br />各々が独自の文化を持っていたのがそのまま引き継がれてきているからです。<br />明治維新になると、この８つの藩は1871年7月14日付けで一斉に同名の県に転換<br />（宇佐神宮近辺は多数の藩・天領の飛地があり権利関係が入り乱れていたが中津県に編入）。<br />天領日田はそれに先行して明治元年に日田県に転換しており（別府も日田県に編入）、<br />これら９つの県の内、中津以外の８つが1871年11月14日に合同して「大分県」が発足しました。</p>
<p>近年の大分県の発展には、<br />元大分県知事の平松守彦が主導した「一村一品運動」が大いに貢献しています。<br />東京一極集中的な空気のあった地方のあり方に大きな波紋を投げかけたものであり、<br />その後の「地方の時代」といったものへの流れを作った運動でした。<br />大分の椎茸もこの運動のおかげで、たいへんメジャーになりました。</p>
<p>なお、平松は通産省の官僚だった頃に、日本のコンピュータ業界の枠組みを整えて、<br />ＩＢＭという巨大な黒船に対抗できるだけの業界の体制を作るのに、<br />大きな指導力を発揮したことでも知られています。<br />サンリオのハーモニーランドの大分県誘致でも力を尽くしていますが、<br />多くの地方テーマパークが失敗する中で、<br />数少ない生き残り組に入っているのも着想の良さがあったからでしょう。</p>
<p>カレンダー情報：大分県</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/24.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/24.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sun, 14 Nov 2010 06:38:19 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（23）</title>
            <description><![CDATA[<pre><p>第23回の「昔のカレンダー」は、「トイレの日」です。</p></pre><pre>11月10日は「いいトイレ」の語呂合わせで「トイレの日」です。<br />日本トイレ協会が1986年に制定しました。</pre>
<p>
トイレの歴史というのは、人間が集団定住生活をはじめた頃から始まります。<br />一般に人が集団生活をしはじめた場所は水が豊かで、<br />近くに川がある場合が多かったので、川の上に板などで張り出しを設け、<br />そこに穴を開けて、そこで排便をしていました。いわゆる「かわや（厠）」です。
後に村の回りに防衛と猛獣避けを兼ねて堀（環濠）を作るようになると、<br />その環濠が厠を兼ねるようになりました。<br />こういう厠の系統のトイレは平安時代にも上級貴族がおこなっていて、<br />自分の屋敷の中に川の流れを引き込み、その流れの上に厠を設置していました。
一方、そこまでのお金のない中級以下の貴族の場合は、<br />現在の簡易トイレのような構造のものを作り、<br />便の落ちる箱の中には砂や木の葉などを入れて、<br />便の処理がしやすいようにしていました。
日本では戦後、寄生虫の問題から屎尿を肥料に使うのを止めて、<br />化学肥料を使おうといったことが言われて「こやし」の消費量が減り、<br />肥溜めも随分減りました。そして、下水道と水洗トイレの普及で、<br />すっかり屎尿は「廃棄物」扱いされるようになっています。<br />しかし、ここ十数年の間に揺り戻しが起きて、化学肥料で作った作物より、<br />有機栽培した作物の方がずっとおいしいことが知れ渡り、<br />あらためて人糞についても、処理方法の見直しの声が上がるようになってきました。<br />とはいれ、いろいろと問題は多く、前途は多難のようです。</p>
<p>カレンダー情報：日本トイレ協会</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/23.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/23.html</guid>
            
            
            <pubDate>Wed, 10 Nov 2010 07:33:28 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（22）</title>
            <description><![CDATA[<p>今回の「昔のカレンダー」は、フランスの作家アルベール・カミュです。</p>
<p>カミュは、1913年11月7日アルジェリアのMondoviで生まれました。<br />生まれてまもなくお父さんが第一次世界大戦で亡くなり、一家はBelcourtに移動します。<br />ここで通った小学校の先生が彼の才能を見出し、たくさん勉強するように進めて、<br />彼の能力をどんどん開発させていきました。<br />そして、順調に高校を卒業するとアルジェリア大学に進学。<br />ここで彼は結核を患い、一時期休学しますが、その後無事復学し、哲学の学位を取得しています。<br /><br />彼の家は貧乏でしたので高校・大学と学ぶのには奨学金をもらっていますが、<br />それだけでは足りずに彼は様々なバイトをしています。<br />そんな中で、彼は自然と左翼系の人たちと知り合い、進歩的な劇団での活動などもしています。<br />彼は大学在学中の1934年に一度結婚していますが、すぐに離婚しています。<br /><br />学校を出た後は、1938年に左翼系の新聞社Alger-Republicainに勤め、記者として活躍しますが、<br />1940年にイスラムのことを書いた記事が問題とされ失職。<br />その後、フランスに渡ってレジスタンスに参加。地下新聞Combatの記者となります。<br /><br />そんな激動の時代に彼はやはりレジスタンスに参加していたジャン・ポール・サルトルと出会い、<br />大いに刺激を受けます。彼の代表作となる「異邦人」を書いたのもこの時期です。<br /><br />彼は1947年にCombatを辞めフリーになります。その後発表した1951年の「反抗的人間」は、<br />長年の親友であったサルトルとの激しい論争に発展しました。<br />それがやっと落ち着いた頃に発表されたのが1956年の「転落」です。<br /><br />1957年ノーベル文学賞受賞。<br />なお、サルトルも1964年にノーベル文学賞に推薦されますが、彼はその受賞を拒否しています。<br /><br />1960年1月4日、友人が運転する暴走自動車が街路樹に激突して即死。享年46歳。</p>
<p>カレンダー情報：アルベール・カミュ</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/22.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/22.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sun, 07 Nov 2010 17:39:01 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（21）</title>
            <description><![CDATA[<p>第21回の「昔のカレンダー」は、「いいりんごの日」です。</p>
<p>11月5日は語呂合わせで「いいりんごの日」です。<br />青森県で2001年に制定されました。<br />なお、りんごのもうひとつの主産地である長野県では、<br />1999年に長野の主力りんごが「ふじ」であることから、<br />11月22日を「いいふじ」の語呂合わせで「長野県りんごの日」と定めています。<br /><br />りんごはバラ科の落葉高木で原産地は中国の天山山脈付近と言われています。<br />これが西に伝わりヨーロッパで普及し、やがてアメリカにも広まります。<br />日本には平安時代頃には中国から渡ってきた、りんごがあったようですが、<br />栽培は信濃の善光寺などごく一部でしか行われていませんでした。</p>
<p>日本で本格的にりんごの栽培が行われるようになるのては明治からで、<br />アメリカからりんごの苗木が持ち込まれ、政府は全国でこの苗を植えてみますが、<br />特に青森と長野が生育に適していることが分かり、<br />この２ヶ所が、りんごの産地となることになったのです。<br /><br />カレンダー情報：りんごの歴史</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/21.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/21.html</guid>
            
            
            <pubDate>Fri, 05 Nov 2010 07:06:25 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（20）</title>
            <description><![CDATA[<p>今回の「昔のカレンダー」は、唐津の「おくんち」です。</p>
<p>毎年11月2日?4日まで、佐賀県唐津市で「おくんち」が行われます。<br />「おくんち」とは特に西日本で行われる秋祭りで、<br />元々は「御九日」つまり９月９日の重陽の節句のことです。<br />昔は９月９日前後に行われていたものと思われますが、<br />明治に新暦に移行して以降、各地域ごとに実施の日程はばらばらになってしまったようです。<br />（唐津のおくんちは江戸時代には9月29日に行われていました）<br /><br />唐津のおくんちは200年以上も前の古い曳山が使用されていることで有名です。<br />この曳山は超大型・漆塗り・一閑張りという全国でも他に例を見ないユニークなもの。<br />毎年、鯛や獅子などの曳山を見るために全国から観光客が訪れます。<br /><br />唐津は「からの国」つまり中国へ向けて船を出す港(津)という意味で、<br />古くから大陸との交通の拠点として栄えました。<br />背後にそびえる台形状の「鏡山」には松浦佐夜姫（まつらさよひめ）の伝説があります。<br /><br />昔、大伴狭手彦が朝鮮に出兵する準備をするため唐津に滞在していた時、<br />この地の長者の娘・佐夜姫と愛し合うようになります。<br />しかし、狭手彦はやがて出発。<br />姫はこの鏡山の頂上に登って船が海の向こうに消えていくまで見送っていたと伝えられています。<br /><br />鏡山の形はこの付近が隆起地形であることを示唆しますが、<br />この近くにはもっとはっきり隆起地形を示す、まっ平らな島「神集島(かしわじま)」もあります。<br />この島はその形から昔から、神様たちの集会場と言われていました。</p>
<p>カレンダー情報：唐津観光協会<br /></p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/11/20-1.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/11/20-1.html</guid>
            
            
            <pubDate>Tue, 02 Nov 2010 08:07:15 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（19）</title>
            <description><![CDATA[<p>第19回の「昔のカレンダー」は、アメリカの火星人騒動です。</p>
<p>1938年10月30日、全米で火星人来襲のパニックが起きました。<br />この日CBSラジオのハロウィンに合わせたスペシャル番組でオーソン・ウェルズは、<br />H.G.ウェルズの「宇宙戦争」を元にした番組を放送しました。</p>
<p>H.G.ウェルズの「宇宙戦争」は火星人が地球に攻めてきて大パニックになるＳＦ小説ですが、<br />オーソン・ウェルズはこれをごく普通の番組を放送している最中に、<br />臨時ニュースの形で火星人が襲来してあちこちの都市を攻撃している、という話を流す方式で構成しました。<br />「どこどこの都市が襲撃されました」<br />「詳しい情報が入りましたらまたお伝えします」<br />そのような緊迫したニュース原稿が読まれたようです。</p>
<p>番組の最初には、ちゃんとこのことは断っていたのですが、<br />途中でラジオを付けた人たちの一部が、ほんとうに火星人の来襲があったものと思いこみ、<br />全米でパニックが起きました。</p>
<p>後に、この騒動のこと自体が映画になりました。<br />その映画では、パニックになった人々が宇宙人と戦おうといって手に手に銃を持って集まり、<br />火星人と間違って給水タンクを撃ってしまう、という話になっていました。<br />それに、義勇兵になりたいといって親に反対されていた青年の話が絡ませてありました。<br />映画のストーリーはパニックの起きている町と放送局との二元進行で構成されていました。</p>
<p>オーソン・ウェルズは映画俳優・監督として知られ、<br />「市民ケーン(Citizen Kane)」「第三の男(The third man)」「007カジノ・ロワイヤル(Casino Royale)」<br />&nbsp;「ジェーン・エア(Jane Eyre -1944)」などに出演しています。</p>
<p>H.G.ウェルズはジュール・ベルヌに続いてＳＦのジャンルを確立した作家で、<br />ベルヌがＳＦの祖であれば、ウェルズはＳＦの父ともいうべきところでしょう。<br />この作品の他に「透明人間(The Invisible Man)」「ドクター・モローの島(The Island of Dr. Moreau)」<br />「タイムマシン(The Time Machine)」などが有名です。</p>
<p>カレンダー情報：今日は何の日</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/10/19.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/10/19.html</guid>
            
            
            <pubDate>Sat, 30 Oct 2010 08:53:22 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>昔のカレンダーをひもといて（18）</title>
            <description><![CDATA[<p>今回の「昔のカレンダー」は、「速記の日」です。</p>
<p>「速記の日」は、日本で最初に速記文字を開発した田鎖綱紀（たくさりこうき）が1882年10月28日に、<br />日本橋の「小林茶亭」で速記法の講習会を開いたのを記念して定められたものです。</p>
<p>速記法は議会や討論会・会議などの記録を取る手段として発達してきました。<br />ヨーロッパでは意外と歴史が古く、古代ギリシャでも使用されていましたが、<br />日本での導入は田鎖式が最初と思われます。</p>
<p>現在、国内には８０種類ほどの速記法があると言われます。<br />速記法の検定は、速記記録したものを一定時間内に反訳するところまでの正確度を問われる<br />ようになっており、速記の方式は何でも構いません。</p>
<p>速記文字の反訳作業はコンピュータ処理になじむもので、<br />アメリカではかなり技術が発達しています。さらにはソクタイプによる入力とこのシステムを直結して、<br />ニュースにリアルタイムで字幕を入れる試みなども行われています。</p>
<p>近年では速記の技術者不足のため、録音で記録して後でテープ起こしを依頼する、<br />という方式に移行していく傾向が見られます。裁判所は昨年から速記者の新規募集を中止しました。</p>
<p>地方議会でも既に速記者を置いていないところもありますが、<br />テープ不良で記録が一部取れなかったなどの事故も起きているようです。<br />速記者は通常２名置いて相互チェックをしていますが、<br />テープも２セット置いてもらいたいものです。<br />なお、国会の速記者は発言のみでなく、ヤジや発言者の態度・様子なども書き留めています。<br />これはヤジが元で審議が紛糾することもあるからです。</p>
<p>カレンダー情報：日本速記協会</p>]]></description>
            <link>http://omakare.com/2010/10/18.html</link>
            <guid>http://omakare.com/2010/10/18.html</guid>
            
            
            <pubDate>Thu, 28 Oct 2010 15:21:59 +0900</pubDate>
        </item>
        
    </channel>
</rss>

